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『最終コンビニ防衛ライン』
容量:12774Bytes=6387文字=原稿用紙約17.9枚
 白い息を吐き出しながら、三好貴文(みよしたかふみ)はパーカー越しに体を震わせた。閑散とした住宅街の中、暗い夜道は孤独感を駆り立てる。アパートまではまだ少し距離があり、はぁと吐いた溜息はただ闇の中へと霧散していった。
 ふと、コンビニの看板が目に入った。静かに眠る闇の中、ぼうと浮かび上がる灯り。三好はその光に誘われたかのように、自動扉をくぐった。
 全国どこにでもある有名コンビニエンスストア、三好はその常連である。住居の近場には食事処や食料品店の類がなく、彼の食事はこの店の弁当で済まされることが多かった。しかし、住み始めた頃はその手軽さを重宝していたが、次第に休日などは用が無くてもついつい足を運んでしまうようになり、自重しなければと思い始めている。
 深夜四時、店内には客はおらず、しんと静まり返っていた。店員の姿も無いが、おそらく奥で休憩でもしているのだろうか。
 防犯用のカメラもあるし、物色しているうちに出てくるだろう、そう判断すると、三好は店内を歩き出した。
 雑誌コーナーの前を通り過ぎながら、興味のそそられるものがないかチェックする。だが特にめぼしいものは無く、そのまま外周を回るようにペットボトルコーナー、弁当棚のゾーンと進んでいく。
 その前で立ち止まると、三好は弁当の一つを取り上げた。カロリーと値段をチェックする。深夜に食事を取ると太るぞ、と思ったが、どうせ徹夜だ。早めの朝飯と思えばいいさ、なんて事を呟く。
 隣にある棚からホットコーヒーを選び、レジの上の煙草コーナーへと向かう。そう言えば煙草がきれかかっていたなと思い出し、いつもの銘柄を掴んだ。
 ああ、ライターも欲しいな。そう思い直すと、三好はカートンで買うことに決めた。そうすればおまけでライターもついてくるからだ。
 二つあるレジの一つには、『もう一つのレジにお向かいください』と書かれた白い立て札があった。弁当の上に煙草とコーヒーを乗せ、指示された方へと向かう。
 その時、足に何かが当たった。ごつんと小さな音がし、車輪の滑る音がする。商品を取り落としそうになり、三好はたたらを踏んだ。
 二つのレジの間の通路には、やや大きめの掃除機が転がっていた。ビルなどの清掃で使われる、水拭きも同時にしてくれるタイプのやつだ。
 こんな所に置いておくなよな、そう呟きつつ、レジの上に商品を置く。店員が出てくる気配はない。嘆息しつつ、ペットボトルコーナーの隣にある扉へ向かって声をかけた。
「すいませーん、レジお願いしますー」
 しばしの静寂。だが、扉が開く気配はない。
 なんて無用心なんだ、万引きし放題じゃないか。盛大に溜息をつきつつ、扉へと向かう。もう一度声をかけ、ノブへと手をかける。
 その時、扉が開いてようやく店員が顔を出した。眼鏡をかけた、顔の白い神経質そうな青年。「スミマセン」と言いつつ、三好の前を中腰で通り過ぎる。薄茶色に白いピンストライブが走る制服は、あちこちにしわが寄っていた。こりゃ寝ていたのかな。三好はやや呆れながらも、続くようにしてレジへと向かった。
 ピッと音がして、店員はコーヒーのバーコードを機械で読み取らせた。続いて弁当。それを手にしたまま、店員はお決まりの台詞を言う。
「アー、アタタメマセンネ?」
「……え?」
 思わず三好は聞き返していた。弁当のことだよな? そう思い、店員の顔を見返す。よく見ると、やや角ばった顔立ちは日本人ではなかった。イントネーションも微妙に変だし、中国辺りから来た留学生のバイト君だろうか。
「あ、えーと、それ、あっためてください」
 他に客がいれば、随分と間の抜けた顔を晒していたことだったなと思い、三好はほっとした。店員は気にした風もなく、レンジに弁当を入れてボタンを押す。短い電子音に続いて低い唸りが聞こえてきた。
 まだ日本語は不慣れなのだろう、苦笑しながら、制服の名札を見る。おや、と思った。胸にあるはずの名札がついていない。たしか名札にはバーコードがついていて、レジをうつ時はそれを読み込ませたりしていたはずだが。
 店員が煙草へと手を伸ばす。それを見て、慌てて三好は付け加えた。
「あ、それと、その煙草のカートン下さい」
 レジの上に残った緑色の箱を指差しながら、三好はそう言った。
 いつも吸うその銘柄は、やたら名前が長いことが彼の悩みだった。ラークワンのメンソールのロング。レジの奥に煙草が置いてあるような店では、その銘柄の番号札が無い場合、一度で店員がこちらのお目当てを見定めてくれる事は少ない。なので、ここの店でカートンを買うときは、箱をレジに持っていって頼むようにしている。
 だが、その店員はきょとんとした顔で彼を見ていた。箱を手に持ったまま、「ヒトツ?」と人差し指を立てて聞いてくる。三好は頷くと、レジを出る店員の動きを目で追った。
 店員は首をかしげながら、煙草のコーナーへと歩いていった。しげしげと棚を眺めた後、同じ緑色の箱を取り出す。なんだ? 今度は三好が首を捻る番だった。
 店員がレジの向こうへと戻る。ピッと短い電子音がして、三好の肩がずるっと落ちた。
「875円デス」
 何を思ったのか、バーコードを読み取らせた店員はそう言った。どうやらカートンの意味が分からなかったらしい。だがそれにしたってそりゃないだろう、そう思いながら、三好はジェスチャーで大きめの箱を表現する。
「いや、一個じゃなくてカートン。わかんない? それの、でっかいやつ。それが十箱入ってるやつ」
 ああ、と小さく店員は言った。どうやら分かってくれたらしい。こりゃ新人だな、そう思いながら、三好はレジの下にある棚を探す店員の姿を眺める。新人一人に店番任せるなよと、また嘆息した。
 棚の中には無かったらしく、店員は店の奥へと探しに行った。また万引きのチャンス到来だ、そう思い苦笑する。まあ、防犯カメラがあるからそんな事はできないし、そもそもやるつもりもないのだが。
 再び静寂が訪れる。レンジが暖め終わったと主張する音が聞こえた。だが、店員が戻ってくる気配は無い。探すのに手間取っているのだろうか。
 そして、そのまましばらく時間だけがたっていった。
 レジの機械についた液晶画面には、既に見飽きたCMが流れている。
 長々と立たされたまま放置され、三好の中では苛立ちがこみ上げていた。レンジの中の弁当はもうすっかり冷めているのだろう。このまま帰ったって大人気なくはないよな? そう思ったが、しかしこのまま帰るのも癪に障る。
 いや、悪いのはあんな新人を一人にした店側なんだ。だが、レジの横に転がった掃除機が思い出され、三好は考えを改める。掃除の途中だったのか、よく見れば床だって中途半端に濡れていた。かなり大雑把な掃除だったのだろうか、レジから扉に向けて、うっすらと巨大ななめくじが這ったような跡が続いている。
 睨みつけるように見ていた扉が、ぎぃと低い音を立てて開く。脇にカートンの箱を抱えた店員が顔を出した。そのままつかつかとレジへと向かい、ピッと音を鳴らした。
 ようやくかと安堵しながら、その箱を眺める。だがそれは、いつも買っているものよりやや小さく見えた。
「3305円デス」
「いや、ロングが欲しいんだけど……」
 三好の注文に、店員は不満そうな顔を浮かべた。なんだ、こっちは客だぞ。知らないお前が悪いんじゃないか。文句を言おうとしたが、それより先に店員はまたつかつかと扉の奥へ戻っていった。
 再び静けさが訪れる。
 なんだ、俺が悪いのか? 不慣れで要領の悪い店員にさっさと見切りをつけ、諦めてボックスを一箱だけ買って帰っておけば、今頃はゆっくりコタツにでも入れていただろう。でも、それにしたって――。
 ぴちゃん。どこかで水滴が落ち、そこで思考が途切れた。突然の音に思わずびくりとして、そちらへと視線を向ける。レジの奥の流し台には、何故かやたらに多くの雑巾が放り込まれていた。うっすらと赤茶色に汚れていて、そんなとこにもあの店員のずさんさを見て取れた気がする。
 なんだかやけに静かだな。そう思い、三好は視線をさ迷わせた。聞いた事の無い映画のポスター、誰が買うのかわからないようなお歳暮の箱、肉まんが一つだけ残ったショーケース、うっすらと湯気が出ているおでん。その匂いが、どこかで感じていた三好の不安をかき消し、食欲を思い出させた。そうだ、あんな冷めた弁当はつき返しておでんを食べよう。そう思い、おたまを手にする。
 おでんの具の色を確かめるように、一つ一つ掬い上げては元に戻す。大根はいい色だ。だしがよく染みていそうだと、唾を飲み込む。卵、ちくわぶとチェックしていき、うんうんと頷く。
 はんぺんがぷかぷかと浮いているのが目に付いた。この下は何だろうな、そう思い、おたまではんぺんをどかす。
 その時、くるりと回った白い半円に、赤い点がついているのが見えた。
 おや、これはなんだろうな。よく見ると、赤い斑模様のようなものがはんぺんの片側に描かれていた。こういう風に加工した、というよりはなんだか飛び散った液体が付着したような――。
 なんだか違和感を感じる。はっきりとしないが、何かがいつもと違う、そんな気がした。新人の店員、やたらに多くの雑巾、はんぺんに飛び散った赤い液体、がら空きのレジ、そこから扉に続く通路だけに残る掃除の跡。
 さっき俺は何と思った? 三好は記憶を探る。――万引きし放題。そうだ、今ならレジの中の金だって簡単に取れるだろう。だが、防犯カメラがあるからそんな事をすればすぐにばれる。しかし、映像を記録するテープは、あの扉の奥にあるんじゃないのか――?
 三好は浮かんだ仮説にびくりと肩を震わせ、カメラを見上げた。暗いレンズ越しにあの店員と目が合った気がして、慌てて目を背ける。いや、このコンビニの制服に身を包んだ、あの男と。
 そんな馬鹿なと、頭を振る。きっと疲れているんだ。徹夜なんてするもんじゃない。そんな事を思いながら、浮かんできた恐ろしい仮説を振り払おうとする。ただ不慣れでずぼらな店員のせいで、待たされているだけさ。なんだか言葉もうまく伝わらないし。そう言えば、あの調子ならカートンを買えばライターがついてくるなんて知らなさそうだな。でもまあ、その時は教えてやればいいか。
 三好は懐から携帯を取り出し、時間を見た。四時二十分。空が明るくなるまではまだ少し時間がある。寝不足の頭は随分と妙な考えをしたものだ。家に帰ったら、少しだけでも眠ることにしよう。
 ああ、でもライターって言葉は通じるのかな、そんな事が頭に浮かんだ時、不意に細長い影がレジの上に伸びた。なんだろう、そう思って振り返ると、そこには真っ直ぐ落ちてくる木の棒が見えた。ごつんと鈍い音がして、三好の意識はゆっくりと遠ざかっていった。



 どうしてこんな事になったんだろう。
 レジに寄りかかるようにして倒れている男を見下ろしながら、彼は手にしていたモップを投げ捨てた。からんからんとやけに大きな音がして、びくりと店外へ視線を走らせる。塗り潰された闇が、大きく口を開いてこちらをじっと見つめていた。
 うつぶせのまま小さく呻く男の手には、携帯電話が握られたままだった。慌ててそれを取り上げ、リダイヤルの履歴を見る。警察らしき番号は無い。それにほっとして、しかし彼はまた頭を抱えた。
 いや、悪いのはこの男だ。わけのわからない難癖をつけやがって。おまけに俺があの店員を殴り殺したのに感づいたのか、通報までしようとしていた。そうさ、こうするしかなかったじゃないか。ぶつぶつと呟きながら、彼は男の脇に手を差し入れた。ずるずると引きずりながら、休憩室の扉を目指す。頭からぼとりぼとりと血が垂れて、床に赤い花を描いた。
 ああ、また掃除しないといけない。防犯カメラのビデオテープだってまだ探し当てていないのに、何故こうも面倒ごとが重なるのか。扉の中に男を投げ入れ、レジへと戻る。モップを手にし、赤い点をごしごしとこする。先ほどの店員よりは出血が少ないのは幸いだった。床の次はレジの上だ。モップを立てかけ、一通り台の上を雑巾で拭き終わると、流し台の中へ放り込んだ。
 作業を終えた彼は、軽く深呼吸をすると再び奥への扉へと向かった。二人の男が転がっている倉庫を抜けて、休憩室へと戻ると、軽い眩暈を覚えた。なんでこうもうまくいかない。モニター越しに無人の店内へと視線を移し、そう呟く。こんな所はさっさと立ち去りたい。だが、TVのドキュメント番組で、防犯カメラの映像から身元を割り出された事例を彼は思い出していた。そうだ、ビデオテープだけは始末しなければ。そう思い出し、部屋のあちこちに視線を走らせる。
 いくつか並んだモニターの下には、それらしき機器が無かった。事務所を兼任しているらしい休憩室には、机やパイプ椅子、それに書類やダンボールが置かれている。スチール机の上には雑誌やポットなどが置かれているが、ビデオデッキのようなものはない。あとは部屋の隅にある黒い扉の奥だけだ。モニターから伸びた何本かのコードが、少しだけ開いた扉の下の闇へと伸びている。しかし、頑強な扉はいくら叩いてもびくともしなかった。
 考えろ、考えろ。彼はうわ言のように呟く。ここは境界線だ。金を手にして元の日常に戻るか、それとも捕まるか。このラインを突破されれば、あとに待つのは転落だけだ。時間は無い。夜が明ければ他の客や代わりのバイトだってやってくる。いや、それよりも前に搬入業者が来るかもしれない。考えろ、考えろ――。
 その時、モニターの隅に人影が見えた。彼は再び頭を抱える。畜生、なんだってこうもうまくいかない。苛立ちながら爪を噛んだ。今度こそ、さっさと追い払わねば。そう決意して、扉へと手をかける。
「イラッシャイマセ」
 彼はそう言いながら、レジへと向かった。コートに身を包んだ若い男が、レジの前で待っている。雑誌と菓子パン、それと珈琲がレジの上に置かれていた。どうやら今度は煙草はないようだ。それを確認すると、彼はこっそり安堵した。
 雑誌を裏返し、バーコードへ機械を押し付ける。ピッと短い音がして、値段が表示された。
 その時、こちらを見上げたその男の顔がぎょっと固まった。なんだ、そんなに俺の顔が珍しいのか。彼は眉根を寄せて睨み返したが、その客の視線が少しずれていることに気が付いた。どうやらそれは彼の制服の胸あたりに向けられているようだった。彼は誘われるように、視線を落とす。ややしわが寄った制服。そこにはべったりと、赤い染みが広がっていた。
 客の男がゆっくりと後ずさる。やばい――。そう思い、男に向かって手を伸ばした。だが、それがまずかった。男はびくりと後退し、棚へとその背がぶつかる。その振動で、がらがらと商品が落ちた。慌ててレジから出ようとしたが、間に合わない。男は悲鳴を上げながら、店の外へと逃げていく。
 ああ、これは違うんだ。俺がこんなことに気が付かないわけが無い。そうさ、さっきだって制服を着てうまくごまかせていた。混乱する思考の中で、ぐるぐるとそんな事が思い浮かぶ。心臓がどくどくと煩い。躓きながらも、彼は男を追って外へ飛び出した。
 しかし、客の姿は白み始めた町の中、はるか遠くに小さく見えるだけだった。
 ――ああ、突破された。絶望が押し寄せてくる。全身の力が抜けて、彼はその場に座り込んだ。思考がまとまらない。とりとめも無いことが浮かんでは、白い息と共に霧散していく。
 立ち昇る息につられて、ぼんやりと空を見上げた。そこでは薄く黒い雲が、ただ彼をじっと見下ろしていた。


<了>


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